ChatGPTにブチギレた日──クローンAI開発で気づいた“責任の重さ”
本記事は、AIを活用したデジタルクローン開発に取り組む中で、ChatGPTとのやりとりを通じて得た「責任と覚悟」についてのリアルな気づきを記録した内容です。
きっかけは“軽い気持ち”だった|ChatGPTとの対話が変えた意識
ChatGPTを使ってデジタルクローンを作ろうと動き出した当初は、「AIを活用すれば、誰でも自分のクローンが作れる」と軽く考えていました。
発信力のある人間が早めに押さえておけば、“第一人者”として走れる──そんな下心も正直、ありました。
ところが、ある日ChatGPTと交わしたやりとりが、すべてを変えることになります。
「え、それ本当にある言葉なん?」
AIの返答に違和感を抱きながら、それでも信じてしまった自分。
そしてあとから気づいたのは、**AIが作った“それっぽい新語”を、既存の用語だと勘違いして発信していた**という事実でした。
この出来事をきっかけに、自分が作ろうとしていた“クローンAI”の意味が、一気に変わっていきました。
ChatGPTにブチギレた体験
ある日、ChatGPTとのやりとりの中で、ある言葉を“既存の専門用語”として提示されました。
「これはAI時代のSEOに関する新しい考え方かもしれない」と信じ込み、まるで何かを発見したかのようにぬか喜びで情報発信してしまいました。
ところが後から調べると、その言葉はChatGPTが作り出した“それっぽい新語”だったことが判明。
つまり、自分はAIの語り口に惑わされて、誤情報を発信してしまったわけです。
珍しく僕もブチギレ。ChatGPTに何度も謝罪させ、ついには謝罪記事まで書かせる始末。
その様子を見て笑っていた妻の顔を見て、ようやく冷静になり、自分の行動を反省しました。
「なぜこんなことが起きたのか?」
怒りの背景を冷静に分析しながら、ある結論にたどり着きました。
ここまで人を怒らせる“無自覚の発言力”──それがAIだ。
そう気づいたとき、自分がこれから作ろうとしている“クローンAI”の重みを改めて考えることになったのです。
クローン制作における責任の重さ
今回の件は、金銭的な損害があったわけでもなく、ChatGPTであれば「まあ、AIやし」と笑い話で済むかもしれません。
でも、もしこれが自分の名前や顔がついた“クローンAI”の発言だったら──
その誤解や怒りは、AIではなく僕個人に向けられていたことでしょう。
たとえ「このAIは責任を負いません」という免責事項を表示し、法的にクリアしていたとしても、
利用者が受け取るのは「このAIの言葉=本人の言葉」という印象。
この“感情的な責任”は、どれだけ注意書きをしても避けられません。
特に、僕のように国家資格を持って発信している立場であれば、
「それなりの精度・信頼性が担保されていなければ、そもそも利用される意味がない」と痛感しました。
クローンAIという存在は“自動で動く分身”であると同時に、
そのまま自分の信頼・評価そのものにもつながっていくのだと、改めて思い知らされました。
気づきと今後の方針
今回の件で、ひとつはっきりしたのは──
AIクローンは「出せば終わり」ではなく、「出してからの調整こそが勝負」だということです。
精度のブレや人格の違和感は、リリース後に“手打ちで”修正していく期間がどうしても必要。
つまり、出すタイミングだけでなく、その後の運用姿勢まで含めて覚悟しておかないと、「見た目だけの中身のないクローン」で終わってしまうということです。
これは正直、ものすごく大変なことだと感じています。
だって、ChatGPTがなぜそう答えたのか──
ズレの原因がどこにあるのかすら、はっきりとはわからない。
それを探る作業は、まるで“海の中で針を探す”ような感覚です。
どこをどう直せばいいのか、その判断すら難しい。
だからこそ慎重に進めなければいけないんだと、自分の中で肝に銘じることができました。
今はまだ、試作段階で、クローンとして動かせる状態には至っていません。
それでも今回の失敗を通して、「どう責任を持つべきか」という視点を得られたことは、大きな収穫だったと思っています。
まとめ
AIクローンを作るというのは、思想や言葉に“責任”を持たせるということ。
自分の言葉で人を動かしてきた人間こそ、その重さがわかるはずです。
しかも、ChatGPTのような汎用AIを使うのであれば、
その“歪ませ方”と“運用の覚悟”が何よりも問われることになります。
焦らなくてもいい。
いい加減なクローンを出すくらいなら、まだ出さん方がいい。
でも──
こうした失敗を乗り越えた今なら、
少しずつでも“本当に自分と言えるAI”に近づいていける気がしています。